歴史
自然を敬う気持ちから生まれた
桜江町には国の重要無形民俗文化財に指定されている大元神楽(※読み:おおもとかぐら)があります。この神楽は、古くから島根県の西部に広くあった大元信仰に由来します。この大元信仰とは、恵みを与えて下さるカミさまへ感謝の気持ちを表し、カミさまを奉ることから、自然に行われるようになったと考えられ、特に自然と深いつながりのある農山地では、大切な神様として信仰され広まりました。
大元神楽は、六年に一度の神楽年に田畑での収穫を終えた晩秋の頃、夜を徹して行われます。大元神楽は、カミさまをお招きし、楽しんでいただき、そしてカミさまのおつげをいただくまでが一貫して舞われます。カミさまから言葉をいただくという託宣の儀のあるのが、一般の神楽には見られない大きな特徴です。
大元神楽は徳川時代には、すでに現在の形で行われていたという記録があります。明治時代に入ると、神職の舞は禁じられ、神がかりも禁じられましたが、桜江町などの山間地域では、目も届きにくかったため、古くから伝えられた神楽の姿は密かに受け継がれてきました。「託宣の古儀」のある神楽は近年にはほとんど失われてしまい、昭和五十四年になると、今度は逆に国の重要無形民俗文化財として指定を受けることになったのです。
伝統のある神楽ですが、それぞれの土地のカミさまに捧げられる神楽という性格上、その地を離れて演ずることはできません。そのため、古くから伝わる神楽でありながら、他の地域の人にはそれほど知られていないのが残念。六年に一度といった神楽の行われる神楽年には、全国でも珍しいこの神楽にぜひ各地の方々をお招きしたいものです。
特徴
昔からの神楽のかたちが色濃く残された
大元神楽には他の神楽にはもう見られなくなったさまざまな特徴があります。
第一の特徴は、大元神楽には、カミさまが降りてこられ、神がかりになることもある点です。大元神楽では、現在多くの神楽で見られるような氏子の舞だけではなく、神社の神職さん達によって舞われる神事舞が受け継がれていますが、このなかでも「託舞」と呼ばれている神がかり託宣の場となるわら蛇の舞が、神職舞として中核を占めるものです。大元神楽のこの部分は、いま神がかりに至るまでの手順と方法を正確に残す数少ない神楽であるといえるでしょう。いつでも神がかりがあるというわけではありませんが、舞手の気持ちがひとつになるとき、神がかりすることも確かにあります。
第二の特徴は、桜江町の大元神楽が六年に一度の神楽年に行われることです。もともと大元様は、ご先祖様を祭る祖霊神だったと考えれており、非常に多くの場所で祀られています。同じ集落にいくつもの大元様が祀られていることもあるほどです。これらの小さな神々を古くからの集落単位でくるんで、合同の大元祭祀が行われているのです。
第三の特徴は、古い舞方を伝えている点でしょう。幕末から明治期にかけて石見地方の西部で起こった新しい神楽の様式は従来の神楽と比べてテンポが早く、大元神楽など古い型の神楽を六調子、比較的新しい石見西部の神楽を八調子と言っています。八調子神楽の場合、この早い調子に合わせて見せる要素が強調され、衣装や小道具もきらびやかなものになり、見せるための工夫がこらされましたが、大元神楽では伝統的な六調子が守られています。
六調子神楽(大元)と八調子神楽(石見)を比べる
◆鐘馗(六調子)
■公演社中
田所神楽保存会
◆鐘馗(八調子)
■公演社中
都治神楽社中
大元神楽社中所在分布MAP
印は社中所在地域を示してます。※重複地域は1ヶ所で表示してます。